日中戦争の遠因となったと言われることの多い(つまり太平洋戦争の遠因であるということにもなる、これは著者の筒井氏も前書きで言及している)満州事変が起きるまでの日本や世界(主に米英中)の情勢を、多くの研究をまとめることで振り返った一冊です。筒井氏による新説が提示されている内容ではありませんが、満州事変が起こるまでの複雑な日本の政治情勢や、海外とのやりとりを簡便にまとめた物は管見では知らないので、大変貴重かつ便利な一冊です。この本の結論としては、他の方のレビューでも指摘されていますが「満州事変を起こした背景に大正デモクラシーがあった」という事になりましょう。大衆への政治関心の高まり(それは日本だけじゃなくて中国でも)とそれに便乗したマスコミの煽りが満州事変を起こさせた原動力だったことが先行研究や実際の史料も取り上げて丁寧に描かれています。また、『日本陸軍と中国』(ちなみにこの本の参考文献でもある)でも指摘されていましたが、日中の民間交流の拡大が、逆に日中の大衆の反感と衝突を拡大化させる原因にもなったことが諸史料を提示した上で改めて指摘されています。現在も日中の民間交流が声高に言われていますが、この指摘をみると民間交流=衝突緩和に繋がる物なのかどうか疑問を持たざるを得ません。その他、欧米(特に中国に特権を有していた英米)と当時の日本との外交交渉など、現代の日本が置かれている国際情勢と照らし合わせても似た点が多いようにも感じられ、考えさせられる内容でした。一般向けに書かれたと思われる一冊ですが、巻末の人物索引や参考文献一覧も充実していますし、文中にも出典が詳しく書かれているのがとても親切だと感じました。なお「満州事変」をネタにしている割りには石原莞爾も板垣征四郎も全く出てこないのが興味深いです。日露戦争終了後から満州事変勃発までの複雑なこの時代の政情を分かりやすく理解できる一冊として、この時代を知りたい一般人から、プロの研究入門書としてもお奨めです。 満州事変はなぜ起きたのか (中公選書) 関連情報
満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書)
日本は最後の最後の最後まで中国という国の実力と動向を見極めるのに失敗し、ある意味、中国人を舐めきっていたということなのだろう。「じゃあ、お前なら出来るのか」と言われれば「私にも出来ません」と答えざるをえない。今も昔も中国という巨大なる隣国の現状をどのように認識し、この国と如何なる関係を取り結ぶかが日本という極東の島国の命運に直結するという思いを強くした。1920年代の日本外交は幣原外交と田中外交という二項対立で語られることが多い。幣原=経済重視=平和主義、田中=軍事重視=武断外交と連想されがちだが、事実はそう単純なものではない。そもそも幣原や外務省は中国侵略に反対でもなんでもなかった。むしろ時として軍よりも強硬に中国侵略を主張したりしている。ただその主張内容が、条約を楯にした、あくまで「合法的」な経済侵略を主軸とし、軍事行動はその手段の一つという程度であったに過ぎない。この時期の外務省は対中融和的でもなければ平和主義でもなかった。ひたすら「国益の増進」を錦の御旗に対中対満権益の拡大に取り組んでいた。なかでも特筆されるのが、幣原外交の中身である。幣原外交は英米との協調重視、国際協調重視とよく言われる。しかし仔細に見ると、1925年前後に中国で反英暴動、英貨ボイコットが勃発した時、幣原は英国に対し極めて冷淡な態度をとった。日英同盟が失効していたとはいえ、この英国の事情を無視し、英国の犠牲のもとに日本権益の増進を図るがごとき態度が後々に響いてくるのである。田中義一が陸軍全体を必ずしも代表してはおらず、むしろ幕僚中堅からは浮き上がった存在であったことも私には発見だった。田中は満州における実働部隊を満鉄と看做し、満鉄の意見を100%尊重して外交を展開しようとした。田中は山本条太郎満鉄総裁らの意見を重視し、張作霖を通じて北満における日本権益の拡大を追及しようとしたのだ。しかし外務省本省では森政務次官らを中心とする勢力が別の見方をとっていた。関東軍や外務省本省では張作霖に見切りをつけ、彼に代わる別の傀儡政権樹立に向けて動き出していたのである。だから張作霖爆殺事件が起きたとき、何も知らされていなかった田中は言葉を失い昭和天皇の前でへどもどしてしまったわけである。満州事変を巡るリットン調査団の報告書も、今改めて読むと日本に対して非常に気を遣っていたというか、配慮していたことが読み取れる。「何もあそこまで反発しなくても」というくらい日本側がリットン報告書に過剰反発していたように、今となっては読み取れる。もちろん中国側にも配慮はしている。満州で圧倒的実力を持っていたのは日本だが、あまりに日本の実力行使を認めてしまうと中国側が反発し、国際連盟そのものの存在意義が問われてしまうからである。国連という組織が出す文章は今も昔も玉虫色であり、曖昧である。そうならざるを得ない構造に国連というものは置かれているのだ。満州事変だけなら、まだ良かった。しかし満州事変の首謀者たちが「陛下の軍隊を勝手に動かした国家反逆者」として処分されるどころか次々と出世し叙勲されるに及んで、「んなら俺たちも」と思う勢力がワンサカ出てきて、戦火を上海に飛び火させてしまい事態は絶望的になる。英米の権益が集中する上海に戦火を広げたことは、痛かった。ただ英米もこの当時、必ずしも「日本憎し」で凝り固まっていたわけでもないことが分かった。英米にとって中国の利権は所詮二義的なもので、最大の勢力である日本と何とか折り合いをつけながら妥協点を見出そうと彼らも苦労を重ねている。日本はこうした英米の融和的態度を弱さの現われと看做し、ひたすら強硬姿勢を貫いたわけだが、これが後々高くつくことになる。気に食わないのがドイツの態度だ。ドイツは三国同盟締結の直前まで中国に対する最大の軍事支援国で、上海事変の際、わが帝国陸軍を最も苦しめたのがドイツの最新式装備で武装し、ドイツ将校団によって訓練された蒋介石直属のエリート部隊だった。「1936年の統計ではドイツの武器輸出総量の実に57.5%」が中国向けで、同時期の対日武器輸出は1%未満。「日中戦争が勃発すると、中国国民政府軍はドイツのプラント工場でつくられた武器を用い、ダイムラー・ベンツのトラックで輸送し、ドイツ人顧問団に軍事指導を支援される状況にあった」のであり、この意味でドイツは、いわば我々の敵だったわけである。こういう連中を、どうして日本は信用してしまったのだろう。著者は松岡洋右に対して一貫して同情的である。確かに松岡は国際連盟脱退に最後まで反対し英米との協調を重視するよう訴え続けていたようだ。その松岡が、どうして「十字架上の日本」なる芝居がかった大演説をして国際連盟脱退を宣言してしまうのか。どうして英米に敵対する日独伊三国同盟の推進役になったのか。このあたりの松岡の変節についてもっと書いて欲しかった。もっともこの現状維持勢力英米に対抗する日独伊ソ四国同盟なる構想が、何も頭に血が上った松岡の思いつきではなく、意外と古い歴史を持った構想であったことも発見だった。最初に言い出したのはソ連でありコミンテルンで、彼らは英国によるソ連圧迫を回避する手段としてこれを思いついた。蒋介石も後にこの構想を支持したりしている。この間、アメリカと英国の間もかなりギクシャクしている。英米はいがみ合い、対立しており、その意味でアングロサクソンは決して一枚岩ではなかった。中国という国もかなり滅茶苦茶で、いわば群雄が割拠する状態であったことも日本には不幸だった。こうしたなかで印象に残るのが汪兆銘による次のような指摘だ。「中国軍は自立するための経済的な裏付けをもたない。よって軍隊が海岸線に移動すれば他国の傀儡とならざるをえず、軍隊が西北地方に移動すれば地方の盗賊になるしかない。英米ソは勝利するが、勝利までの間に中国は必ず破壊される。中国は共産党が支配されるソビエトになるか、領地が分割されるか、国債共同管理を選択するしか道はなくなる」。その後の中国の歴史は汪兆銘が予測した通りの道をたどっている。胡適は「日本切腹中国介錯論」などをぶっていたが、その過程で肝心要の中国自身が深く傷つき、漁夫の利を得たのが毛沢東だったわけである。日本があそこまで拘った「満蒙利権」の実体についての分析も興味深い。1926年の統計によれば日本の対外投資の68%が満州向けで、その93%が国家がらみの投資だったという。日本は満州へ進出したが、実際に出て行ったのは民間ではなく国家だった。民間資本なら行動原理は「得か損か」となるから軍事行動も行き過ぎればブレーキをかけようとする。ところが軍の後押しを受けた国家機関なら「得か損か」は必ずしも通用しない。「当面、赤字覚悟でも断固としてやりぬく」ことも可能なのである。国鉄の赤字ローカル線、田舎の高速道路、田舎の赤字空港、整備新幹線。みんな国家がらみだから出来てしまう赤字事業だ。満州もこれと同列に見ると分かりやすい。この発見こそが、本書の最大の「売り」なんだろう。 満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書) 関連情報
まさか文庫サイズで復刻されるとは。この分野では古典として知られた一冊ですが、正直なところ一般向けな本でもないかと。熱心に勉強したい方に読まれる研究。 満州事変――政策の形成過程 (岩波現代文庫) 関連情報
聴き終わった後に、思わずため息と共に「良かったなぁ」と呟いちゃいました。 幕末史が良かったので、 そのまま昭和史も購入しました。 こちらも複雑な歴史を分かり易く紐解いていますが、 しかし、こちらはさらに、詳細な資料だけではなく、 実際の体験者・当事者から直に聞いた話などに支えられています。 教科書や普通の講義では伝わりきらない、 当事者が何を考え、何故こうなったか、 という生々しい話が、 その時代を共に過ごしているかのような錯覚を起こすくらいに伝わってきます。 戦後史素人から教科書的知識がある人まで、 幅広くオススメできます。 なお、オーディオブックとしての聴きやすさですが、 もともとが講演なので、 教科書の朗読ものよりも伝わりやすいくらいです。 また、話し方は、 江戸下町のべらんめえ調なので「ひ」と「し」の区別はありませんが、 苦になるものではなくて、 むしろ講壇調の感情移入しやすい名講演でした。 半藤一利 完全版 昭和史 第一集 CD6枚組 関連情報