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防衛計画の大綱 外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争

 折田氏は「はしがき」で《日本は一見すると、世界の中でも、豊かで安定した国であるため、一国で生きていけるような錯覚を持っている人も多い》としています。折田氏は海部内閣で総理大臣秘書官として湾岸戦争時に官邸外交を支えていたのですが、《何か起きたときに日本と連絡を取らなければいけないと世界の首脳がかなり思っていたようです。日本の国際的な地位が相当上がってきていたと実感しました》と語っているんですが、中曽根内閣、竹下内閣と続き、第二次オイルショックからいち早く立ち直った日本は、ODAの額も世界一になるなど、その存在を高めていったんだな、ということが改めてわかります。 しかし、同時に、湾岸戦争では交戦時に協力できることがほとんどなく、そうした反省から有事法制やPKO法案などの成立につながっていく、という流れだったんだな、ということも改めて認識しました。外務省の役人なんかが、海外でホームパーティを開いて相手国の要人との関係をつくることを外務省用語では「自宅設宴」というのは初めて知りました(p.84)。条約局長の時の国会答弁では、サンフランシスコ平和条約の11条について、あの条項があるために、日本は極東軍事裁判は不法だと異議を唱える立場ではなくなったものの、侵略戦争だったと国際法上認めたとまではいかない、と答えたそうです(p.178)。 また、橋本・クリントン会談では、米軍兵による少女暴行事件などによって沖縄問題が大きくなっている中で、当初は普天間移設を言うか言うまいか迷っていた橋本総理も、クリントンから率直にお話しいただけますか、と促されて普天間という固有名詞が出た、と語っています。細かいところですが、やっぱり、日本の外交はなんでもアメリカの顔色をうかがってやるんだな、と改めて感じさせられました(p.196-)。 外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争 関連情報




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