力作です。大変な時間と労力を費やされたでしょう。著者に敬意を表します。 織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ! 関連情報
本日読了した。これまで数多くあった歴史ミステリーに迫る著作の中でも、歴史資料を細かく追っていて分析は丁寧。通説、定説の矛盾の指摘は鋭く、説得力があった。もっとも、この手の書籍では通説批判は割と簡単で、歴史資料というのは多かれ少なかれ矛盾を孕んでおり、また権力者による改竄や、脚色はすべての歴史資料に存在するといっていいので、それを批判しとけばとりあえず説得力は出る。問題は、そこから、実際には何が起こったのかという点の立論だが、多くの書籍では「~のはず」「~のはずがない」とか憶測だけで勧めていいくことが多いが、この本は基本的に当時の資料をもとに研究がされていて好感がもてた。もっとも、結局は著者は途中から自らのストーリーにハマって致命的な誤謬を見落としている。著者のストーリーでは、本能寺の変は、もともと信長の家康暗殺計画だが、光秀がそれを利用して家康と結託して、信長を殺したというもの。①本当であれば、家康が信忠を殺す予定であったが、信忠が予定を変更して京都にいったので、光秀は当初それに気づかず、信長をうったあと、遅れて信忠を殺した。②光秀を家康が仲間だったので、家康の伊賀越えは当然成功した。③光秀との結託していたはずの細川幽斎が秀吉に密告し、中国大返しが成功し、そのご幽斎、秀吉、家康の三者で秘密を共有していた。①についてだが、そもそも家康が信忠を殺すといっているが、堺で家康の連れは30名ほど。信忠に馬廻り衆500人がいたのに、どうやって信忠を打つのか。著者は家康と光秀の周到な準備というが、周到どころか、一か八かの戦いにもならない無謀な作戦。しかも、信忠が堺を事前に出ていたのなら、なぜ、同じ堺にいた家康が光秀に伝えなかったのか。信忠を打つつもりであれば、当然家康は信忠を見張っていたであろうはずなのに、重大な作戦変更を光秀に伝えないこと自体不自然。②光秀と手を組んでいるのなら何故家康は伊賀越をしたのか。光秀が敵でないなら、リスクを負って家康は堺をでる必要はない。池田や中川といった摂津勢は光秀と対峙するので堺にくることはない。むしろ、家康としては堺から、上洛し岡崎の部下に兵を連れてこさせ合流し、光秀と合流すればよかったはず。いくら、秀吉の大返しが予想できなかったとはいえ、機内には摂津勢、細川、蒲生、さらに北陸には柴田と敵とも味方ともわからない連中がいたのだから、光秀の手勢だけでは心もとないはず。もし、光秀と家康が結託していたのなら、速やかに合流する手はずを事前にしていたはず。③家康と秀吉が秘密を共有していたのなら、その後の小牧長久手の戦いはなんだったのか。また、秀吉が織田政権の簒奪者ならば、なぜ、家康は豊家滅亡後にでもそのことを歴史書として公表しなかったのか。明智光秀の汚名を回復する取り組みが一切されていない。秀吉の名誉を守る理由はない。結論としては家康と光秀の結託はなかったと言わざるを得ない。これを前提としてストーリーを組立いる本書はやはり、歴史ロマンの域をでない。とはいえ、その手の本としては秀逸な作品である。 【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫) 関連情報
視点を変えると言う事はこういう事か、と納得させられた。本書にて指摘されている理由など考えた事も無かった。内容の良し悪しだけを判断するなら、歴史捜査と名を打つ割に最後の証明に著者の想像からの推測が多く、また言葉が足らなかったせいかいくつか矛盾も見られた。但し、怨恨説などの従来のどの説よりも、あぁ、確かにありえるかも、と頷いてしまった。今判断する常識と当時の常識は、当然違うだろう。例え、織田信長が武田を滅ぼして天下統一間近であるといってもまだ畿内から少し出たに過ぎず、東北は手付かず、北陸に上杉四国も九州も中国も残っている。確かに、織田軍の勢いと強さは誰にも止められない勢いだっだかもしれないが、それでもまだまだ戦国時代。今日の敵が明日の友の時代である。どの武将も、色々な策を巡らし己の生き残りを図る事になんの疑問があろうか?どうも、武田信玄と上杉謙信が死んだ前後で、私の頭は止まってしまっていたようだ。そう、織田信長が本能寺で死ぬ間際でさえ、戦国時代は続いていたのだ。とすると、本書の指摘もあながち、単なる推測でしょ?と言い切れない気がする。多くの論拠を光秀に近い人物からの日記に頼っている部分も少し証拠としては弱いが、ただ、多くが既存の説の裏づけにこだわって、それ以外の証拠となる文献などを、単なる間違えと済ませてしまっている事の裏返しにもなるので、著者の説が全く正しいという風にはならないが、大いに賛同できる点も数多くあった。徳川との密約については、著者が言うほど固い絆とは思えないがそれでも、ある程度の盟約を結び勝算あっての謀反・挙兵であったのではないか?どちらにしても、真実は決して表に出る事もないだろうが久しぶりに想像と妄想を膨らませてくれた著者に感謝である。色々な視点から本能寺の変を見たい人には是非お勧めできます。 本能寺の変 431年目の真実 関連情報