フー・ツォンの『夜想曲』は憤怒と諦観の振幅が激しい怖ろしい演奏だ。ポランスキーの映画『戦場のピアニスト』で使われた嬰ハ短調の遺作(20番)など、フー・ツォンで聴かなければ、その真価はわからないとさえ思う。両親を文革で失ったらしい、そしてその後の亡命生活が、彼にこのような演奏をさせるのか。異国の地で生きざるを得ないピアニストの人生は、どこかショパンの人生ともオーバーラップする。フー・ツォンの国内盤が手に入らなくなって、嬰ハ短調は聴けなくなってしまっている。普段はおっとりとしたシアワセな生活を送ってこられたらしい遠山慶子の、おっとりそのままの全集盤で我慢しているが、この曲のみは聴くに耐えない。痛ましいフー盤を思い出してしまうのだ。遠山のは別に悪い演奏ではないのだが。フーの国内盤全集の復活を切に望みたい。 Nocturnes-Comp 関連情報
望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン
1955年のショパンコンクールでアジア人として初めて3位入賞した中国人ピアニスト、フー・ツォンの波乱に満ちた伝記です。でもそれだけではなく、音楽家たちにとっての中国現代史でもあります。知識人や音楽家が文化大革命によってどのような影響を受けたのか。またそこを乗り越えたピアニストたちから、今の中国のリ・ユンディらの人気を中心とするピアノブームへとつながっていく流れが、よくわかりました。 フー・ツォンの教養の基盤を育んだ父親は、フー・レイという翻訳家・評論家なのですが、この人の教育ぶりがすごい。学校不信からか息子ツォンを11歳で退学させ、14歳まで自分で文学や歴史を教えたんです。教えるといっても父が解説するのではなく、まず子ども自身に準備させて説明させる。「自分の頭で考える」ことを徹底したんですね。しかもフー家の居間は、医師や法律家や作家など知識人たちが、毎晩のように集まり議論白熱。それを覗いていた子どもたち。ああ教養ってこうして育まれ伝えられるんだ、知識人というのはこういう人たちなんだなあと感じ入りました。 付録のCDにはショパンやモーツァルトやドビュッシーなど13曲も入っています。とくにショパンのピアノ協奏曲第2番第2楽章は、優美さにぐっと引きこまれました。フー・ツォンのCDは今ほとんど入手不可能みたいなので、貴重です。この充実した内容にCDがついて2,000円とは、安すぎるくらいなのでは? 望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン 関連情報
新聞でこのアルバムについての記事を読み、youtubeで演奏を聴いた。その美音と、音楽の広がり、深さに驚いた。ハイドンのソナタ集は、グールド、ポゴレリッチ、ホロヴィッツ、シフ、リヒテルのものを持っている。グールドのそれは、色々な意味でグールド・ミュージックというしかないものだが、ポゴレリッチのハイドンは、スカルラッティの演奏でも聞かれた美点が生きていて、良盤。ホロヴィッツ、シフのアルバムも、彼らのピアニズムを堪能できる名作、名演。だがフー・ツォンの演奏は、それらとはまったく異なる場所で生まれている。最初に収録されている31番の第1楽章は堂々としていて魅力的だが、第2楽章のアダージョの深い味わいは、雲間を揺蕩っているよう。宙に浮いているのではなく、木漏れ陽の間を歩いているよう。陰影と色彩が交差する。34番から始まる2枚目も素晴らしい。何度くり返し聴いても、新鮮で、親密。解釈や技巧を超えて、音楽が鳴っている。リヒテルやポリーニなど、ロシアや東欧まで含めた西洋の音楽家たちとはまったく違うピアニズムがここにある。録音はロンドンの教会でなされているが、マイク・セッティングがピアノから離れているので、その場の響きをひろっている。豊かな残響も魅力のひとつ。音楽との一体感、ドライブ感、美音。一級品のアート作品が持つ特徴を供えた作品。 Piano Sonatas 関連情報